2010年3月29日月曜日

3.「真実らしいこと」の客観的追究

反対意見や、少数意見も無視することなく、検討の対象とする。このように自分や多数派の意見にこだわることなく、考えていく姿勢は非常に大切なことです。多くの人たちは、熱意のあまり、周りが見えなくなり、特定の意見や考えにこだわってしまいます。

「この商品と競合になるような商品は、存在しません」、「まさに、お客様のニーズにぴったりだと思います」、「これは、優れたものを組み合わせているため、良くないはずがありません」などと、熱く語るという意味では、素晴らしいことですが、これは全く客観性の欠けた考えかもしれません。競合製品やお客様のニーズを完全に知り尽くし、そして、良いものの足し算が必ず良いものになると言い切ることが、本当に可能なことなのでしょうか。事実を反映しない、単なる思い込みであっては分析になりません。

自分では、いろいろなことを知り、検討しているつもりでも、実際には、全く目や耳を閉ざしてしまっていると受け取られてもおかしくないような場面に出会うことがあります。これでは、良い方向に進められるような計画を立てることなどできるはずもありません。

自信のない営業マンの話は聞きたくはありませんが、だからといって、根拠のない話を歓迎する気にはなれません。いろいろなことに対する思い、愛着、そして、そうであったらいいなと思う気持ちなど、様々なことが自分の話のトーンを決めることになりますが、分析を行う以上、客観的な姿勢を忘れるわけにはいきません。

このような姿勢で分析に臨むことは、たいへん難しいことではありますが、目の前にあるものをできる限り客観的にとらえ、そこで初めて分析したことになります。そして、そこから、より正しいと思われる、新たな道が生まれることになります。

「分析とは、客観性を担保しながら、極力「真実らしいこと」を追究していくものである。そこに、情報源に対する親愛の情や、思い込み、あるいは偏見があっては成り立たないものだ。- 元外務省 北朝鮮班長/外交官- (P92)」
原田武夫 (2006) “元外交官が最前線で見てきた 超一級の外交術:勝者が必ず踏んでいた「7つのプロセス」とは” 青春出版社

0 件のコメント:

コメントを投稿